Thursday, February 5, 2009

メリノール宣教会 男子宣教会。

メリノール宣教会 男子宣教会。

1911年6月29日。創立者は、ボストン大司教区司祭で司教区の信仰弘布会の担当者として、アメリカのカトリック信徒に外国宣教に関する熱意を養うために「遥かなる畑」という雑誌を出版していたウオルシュ(James Anthony Walsh, 1867-1936)と、アメリカのカトリック信徒数のいちばん少ない南部で国内宣教に専念し、カトリックの教えを普及するために「真理」という雑誌を出版していた、ノース・カロライナ州のローリ教区司祭であるプライス(Thomas Frederick Price, 1860-1919)である。1911年4月にアメリカの司教団から承認を得、1911年6月29日(聖ペトロと聖パウロの祭日)にローマでピオ10世から許可を受けた。

ウオルシュとプライスがローマから帰国し、ニューヨーク市の郊外でハドソン川を見おろす丘を見つけ、Maryknoll=「マリアの丘」と名付け、そこに神学校を設立し、神学生とブラザーの志願者を募った。 【初期の宣教】1918年に創立者のプライスと3人の若い宣教師フォード(Francis X. Ford, 1892-1952)、ウオルシュ(James E. Walsh, 1891-1981)、マイヤー(Bernard F. Meyer, 1891-1975)は中国の南部へ派遣された。翌年プライスは香港で帰天。

フォードは1935年に廣東の嘉応の司教となり、1952年に中国の牢で殉教した。J.E.ウオルシュは1927年に上州の江門の司教となり、創立者J.A.ウオルシュが死んだ1936年から10年間総長として務め、その後中国に戻り、中国革命の時に牢に入れられ、12年後の1970年に解放された。マイヤーは永く中国で働き、その後カテケシスの研究者として南米の教会教理を著した。1923年に会は北朝鮮の平壌へ(バーン<Patrick J. Byrne, 1888-1950>が責任者)、1925年、満州へ(後で3代目の総長となる(レーン<Raymond A. Lane, 1894-1974>が責任者)それぞれグループを派遣した。 【日本の宣教】

日本にはアジア視察旅行中のJ.A.ウオルシュが1917年(大正6)10月に立ち寄り、その後も朝鮮、満州、シアトル、ロスアンゼルスの日本人ミッションで働くために日本語を勉強した会員が数名渡来したが、会としての正式な来日は、1933年(昭和8)8月31日、ホイットロー(W.V.Whitlow)ブリッグズ(E.F.Briggs)、ウオルシュ(J.J.Walsh)が、準備のために満州から派遣されたフェルセッカー(Harry J. Felsecker, 1905-)に迎えられ横浜に到着した日を始まりとする。1935年(昭和10)8月、滋賀県で宣教開始。大阪教区の一部であった京都・奈良・三重・滋賀の1府3県が知牧区として、同会に委託された。1937年(昭和12)6月、平壌代牧となっていたバーンが初代教区長。

1941年(昭和16)、同神父が辞任、古屋義之司教が教区長になった。 [戦時中]太平洋戦争の勃発で、会員は14人米国へ戻ったが、バーンは京都の高野教会に軟禁状態のまま残留。その中の数人は戦時中米国で強制収容された日系人のために働いた。叉、戦争のためにアジア諸国の宣教地から排除された会員が多数いたが、会はその宣教師達を含めて初めて中南米に派遣することに決めた。バーンは1945年8月下旬、終戦直後の日本国民の動揺を沈めるため、報道陣の依頼で米軍向け放送と日本人向け放送に活躍、その後も両者の和解調停に尽力した。 [戦後]終戦と共に会員は再び来日したが、バーンは、1947年韓国への教皇庁視察官にに任命され渡韓、1949年、独立まもない韓国の初代教皇使節に任命された。

1950年、朝鮮戦争で捕虜となり、"死の行進"で新義州の近くで病死した。第2次世界大戦のため会の事業は大打撃を受けたが、終戦後はスタインバック(Leo J. Steinbach, 1905-)が福祉事業を行ない,又1947年、マキロップ(Michael J. McKillop, 1910-)が東京でアジア救済連盟(略称ララ)のカトリック代表者の一人として活躍、1948年には日本管区長となって京都に戻り、フェルセッカーがララのカトリック代表者となった。同年カシュミッター(William.A. Kaschmitter, 1899-1986)が東星ニューズ発刊、翌年からMissionary Bulletin(のちのJapan Missionary Bulletin)発行、1950-1955年編集長を務めた。1950年,フェルセッカーが日本管区長となり東京に本部設置。1946年ティベサー(Leopold H. Tibesar, 1898-1970)が来日し、新設銀座教会に勤務、1948年、カリタス・ジャパンの会長に挙げられ、1949年、日本カトリック教区連盟(現・日本カトリック中央協議会)事務局長に任ぜられ、資金集めに尽力、1951年6番町の建物を建設。

1952年、ハヤット(James Hyatt)が良き牧者運動(YBU)開始。1954年4月、札幌教区の苫小牧地区受託。1975年、大分教区に、1978年、名古屋教区に小教区を開始。 [小教区において]1970年代に信徒養成や小教区の活性化に力を入れ、各小教区が自立できる共同体になるという方針を採択、各小教区が「自身で」小教区共同体の方向性を決め、「自身で」小教区共同体生活の維持ができ、「自身で」福音の発展を計るという「3自」の基準を示した。

1973年、宣教司牧や信徒養成を推進するために京都教区教理センター設立。司祭が不在の場合、信徒が自身で典礼を行なうように、1975年から「集会の祭儀」導入。1980年、信徒に同じアジアの兄弟との連帯感や国際視野を育成するために、フィリピンでの体験学習プログラム開始。 [霊性において]80年代に会員は、信徒の霊性の深化を計り、個人霊的指導者のグループを養成、又、東京の「心のいおり」(黙想の家)でサダナの祈りと東方教会の霊性やその祈りを日本に紹介。 [教育活動]小教区活動と共に、教育分野で、会員が大学、高校、幼稚園で教え、1957年ムレット(John Murrett, 1892-1971) はビラ・マリア学生寮を設立。1965年、竜安寺学生寮。衣笠学生寮も設立された。 [福祉活動]京都教区に於いて、種々の社会福祉施設を開設: 1959年に在日韓国人・朝鮮人、被差別部落からの人が集まっている地域に、福祉事業の場としての「希望の家」設立。1967年、三重県に精神薄弱児収容施設「聖母の家」、1974年、京都府に特別養護老人ホーム「神の園」、1978年、四日市に仕事の出来る知恵遅れの青少年のための「ときわハウス」設立。

[アルコール・薬物回復プログラム]1975年ミニー(John Meaney)がアルコール依存症者回復のため日本語のAA(アルコール依存者匿名会)の「12のステップ・プログラム」を導入、大宮でハーフウエイ・ハウス設立。1978年、アルコール治療機関「MACセンター」、1983年、女性専用の「スズラン・マック」設立。1986年、ロイ(Roy Assenheimer)が薬物専門施設「ダルク・リハビリテーション・センター」設立。1992年現在全国でマック、ダルク施設の数は14箇所。[山谷]1984年、山谷の家のない貧しい人々を支援する山友会結成、クリニック、相談室、医療や食事の配布、老人憩いの場を提供。 [広報活動]社会における正義と平和を求める活動が福音宣教の不可欠な一部だという信念から、会員の一人が専門的に問題を研究、各小教区にその情報を伝え参加を呼びかける。

又、一人が専門職としてジャーナリストになり、マスコミ、ジャーナリストの分野で活躍。会は宣教師を派遣するだけではなく、宣教地での体験やその状況を本国のアメリカへ伝えるという会の方針に従って、機関誌や帰国中の宣教師の体験談などを通じてその情報を伝え、宣教地への理解を求める。 【多様性】同会は、1966年、会以外の司祭が一定の期間で宣教活動に加わる制度に続き、72年、信徒宣教者を受け入れる制度を導入、又75年、会以外のブラザーもその制度に参加。

【現勢】1992年現在、司祭の人数は626人、ブラザー93人、付属司祭27人、付属ブラザー1人、信徒宣教者152人、計899人。宣教対象国は、アジア(日本、韓国、香港、台湾、フィリピン、ネパール、バングラデシュ、タイ、カンボジア、インドネシア、サモア)、中南米(メキシコ、グアテマラ、ホンヂュラス、エルサルバドル、ニカラグア、ベネズエラ、ペルー、ボリビア、チリ、ブラジル)、アフリカ・中近東(タンザニア、ケニア、スーダン、エジプト、パレスチナ)である。

REVERSE EDUCATION: Asia: Japan, Korea, Hong Kong, Taiwan, Philippines, Nepal, Bangladesh, Thailand, Cambodia, Indonesia, Samoa, Hawaii. LA: Mexico, Guatemala, Honduras, El Salvador, Nicaragua, Venezuela, Peru, Bolivia, Chile, Brazil. Africa: Tanazania, Kenya, Sudan, Egypt, Palestine.

 京都司教区に経営を委任した。広報,平和運動,黙想会,禁酒運動なども行っている。 (About 750字) 男子メリノール会には司祭とブラザーの会員のほかに、自分の司教や修道会の許可を得て、契約して数年間メリノール会の仕事をする巡回委員の司祭やブラザーもいます。そして、よりよくアメリカの教会を代表するため、メリノール信徒宣教者もいます。信徒宣教者は男女で独身者も、家族のある人もいます。 Maryknoll Worldwide History - present places

1 comment:

  1. 信徒宣教者ですが、これは他の修道会などである第三会、世俗会、在俗者会のような位置づけでしょうか?また、メリノールの信徒宣教者として宣教活動のお手伝いをするためにはどのようにすればよろしいのでしょうか?

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